130年以上続く「ランドセル文化」。
「なぜ、ランドセルが必要なのかを知りたい」「ランドセルの価値や意味を知りたい」と思っている人も多いはず。
そこで、今回は、ランドセル文化をわかりやすくご紹介します!
この記事は以下のような人におすすめ!
- 子どもにランドセルの価値を教えたい人!
- ランドセル文化に興味がある人!
この記事では、ランドセルの「歴史、起源、発祥、語源、由来」などを紹介します。
この記事を読めば、ランドセル文化を知って、お子さんにランドセルの価値や意味を伝えることで、お子さん自身がランドセルに興味と大切に使う気持ちを持てるでしょう。
また、親御さんにとっても、時代のニーズがわかるので、ランドセルを選ぶときの基準を持つことができますよ!
日本の教育や文化の移り変わりを知ることも興味深いと思います!
ぜひ、ご覧ください。それでは、ランドセルの起源からスタートです!
ランドセルと黒船来航
時は幕末(1853~1868年)。
幕末と言えば江戸時代の末期ですよね。
徳川幕府が政治の権力を握っていた時代です。
当時、江戸幕府は国内の体制を保ち、国外から守るために「幕府陸軍」と呼ばれる「西洋式軍備」を取り入れました。
江戸時代は「鎖国」をしていて、外国との貿易や交流を制限していました。
徳川幕府は、ヨーロッパから伝えられたキリスト教が日本の統治に良くないと考えていたからです。
そこで、外国船の入港を制限していたわけです。
鎖国中は、長崎港内に扇形の人工島「出島(でじま)」を作って、貿易の窓口にしました。
当時、日本と貿易ができたヨーロッパの国は、キリスト教を広めないと約束した「オランダ」だけでした。
1824~1825年ごろの出島 Isaac Titsingh – Koninklijke Bibliotheek Bijzonderheden over Japan, behelzende een verslag van de huwelijks plechtigheden, begrafenissen en feesten der Japanezen, de gedenkschriften der laatste Japansche keizers, en andere merkwaardigheden nopens dat rijk, パブリック・ドメイン, リンクによる
しばらくして、捕鯨船の物資補給のために開国を求めに来た「ペリーの黒船来航」(1853年)や「欧米列強」と呼ばれる強い力を持つ国々の圧力があったので、自国を守るために西洋式軍備を取り入れました。
当時は、北はロシア、南はイギリス、東はアメリカが日本への脅威として迫っていました。
江戸幕府は、列強と同等の力を持つと考えられていたオランダから、軍事の専門知識を導入し、欧米列強の侵略に対抗しようとしていました。
1854年 横浜への黒船来航 ウィルヘルム・ハイネ –http://ids.si.edu/ids/deliveryService?id=NPG-8200262B_1, パブリック・ドメイン, リンクによる
西洋式軍備には、西洋式の銃や大砲、軍隊の集団行動などがありました。
その中に、将官(軍隊の指揮をする人)や兵士(将官に従う人)の持ち物を入れるための装備品として使われていた布製の「背嚢(はいのう)」があり、これが後のランドセルになったと言われています。
(※出典:国立国会図書館 江戸時代の日蘭交流)
背嚢がランドセルになったんですね。では、「ランドセル」って言葉はどこから来たのかというと…
ランドセルの語源とは?
背嚢(はいのう)は背中に背負うカバンのことです。
「嚢(のう)」は、布とかで作った中に物を入れる袋です。
聞きなれない言葉だと思いますが、土を入れる「土嚢(どのう)」という言葉は、聞いたことがあると思います。
台風などのときに、家の入口などに置いて水の侵入を防いだりしますよね。
この背嚢は、オランダ語で「ransel(ランセル)」と呼び、ransel(ランセル)が訛って「randsel(ランドセル)」に変わったという説があります(※諸説あり)。
実際、幕府陸軍の訓練マニュアル(求實館蔵板(きゅうじつかんぞうはん)1864年)には、「粮嚢(りょうのう)」の文字に「ラントセル」とフリガナがながふられています。
粮嚢は、食料品を運ぶために使われていた背嚢です。
ランドセルの英語表記は、下記の関連記事をご覧ください。
ランドセルを英語で言うと? 何語・意味・語源も解説「ランセル」が「ランドセル?」に?…「ド」はどこから?
ランドセルと学習院
江戸時代(1600〜1868年)は、子どもたちに読み書き、そろばんを教える教育の場として「寺子屋」がありました。
寺子屋は、今でいうの個別指導の塾です。室町時代(1336〜1568年)からお寺で行われていた教育です。お寺で教育を受ける子どもを「寺子(てらこ)」と呼んでいたので、寺子屋と呼ばれるようになりました。
明治時代になってから、明治政府は近代国家を目指すために、西洋式の教育制度「学制」を導入します。
これにより、寺子屋は姿を消して、全国に小学校が作られたわけですね。
ランドセルが通学カバンとして使われだしたのは、学習院初等科が起源です。
学習院初等科は、1884年(明治17年)に官立の模範小学校として開校しました。
官立の模範小学校とは、明治政府が作った学校で、他の学校のお手本となる学校のことですね。
学習院本館(1915年)不明 – 『写真集 大正の記憶 ─学習院大学所蔵写真─』 学習院大学史料館、吉川弘文館、2011年, パブリック・ドメイン, リンクによる
当時の子どもは、勉強道具を風呂敷などに包んで通学していました。
元々、学習院初等科は、華族(貴族階級)のための学校だったので、富裕層の子どもは、馬車や人力車で通ったり、お付きの人が荷物を持つのが当たり前でした。
しかし、学習院初等科は「学校では皆平等」との考えから、「勉強道具は自分で持ってくるべき」となり、馬車や人力車で通学することやお付きの人に荷物を持たせることを禁止にしました。
1885年(明治18年)、通学する子どものために、通学カバンとして採用されたのが布製の背嚢でした。
日本初のランドセル通学です。
両手を使うことができて、勉強道具入れとして持ち運びに便利だったからです。
でも、当時は、布製でリュックサックのような形のものを背負っていました。
ランドセル通学は始まりましたが、まだ、革製の箱型じゃなかったんですね!
革製の箱型ランドセルの登場
1887年(明治20年)のこと。
当時の皇太子さま(後の大正天皇)が学習院初等科に入学され、内閣総理大臣だった伊藤博文がお祝いに革製の箱型ランドセルを特注し、献上しました。
これが箱型ランドセルの起源とされています。
この起源は、あちらこちらで出回っていますが、諸説あります。学習院大学史料館では、歴史史料の根拠がないため、採用されていないとのことです。
1890年(明治23年)には、素材が黒革になり、1897年(明治30年)には、形やサイズが統一され、今のランドセルの原型である「学習院型ランドセル」が完成しました。
しかし、ランドセルは、昭和に入っても全国的には広がりませんでした。
地方や一般庶民の間では、まだ風呂敷などが使われていたのです。
理由は革が高級品だったからです。
当時、ランドセルを使っていたのは1割程度だったと言います。
その後、戦時中になり、物資の不足が深刻になりました。
物資の節約が求められ、ランドセルの生産が制限されたり、紙のランドセルなど代用品が使われることもありました。
1938年(昭和13年)の内閣情報部『写真週報』広告に描かれたランドセルを背負った子ども 理化学研究所 – JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06031060400、写真週報9号(国立公文書館), パブリック・ドメイン, リンクによる
ランドセルが全国に広がりはじめたのは、戦後の1945年(昭和20年)以降です。
1947年(昭和22年)には、ブリキのランドセルが登場したり、1949年(昭和24年)には豚革ランドセルが販売されたりもしました。
1953年(昭和28年)になると、牛革ランドセルが出回り、形が現在のものに近づき、丈夫で長持ちすることが求められるようになりました。
ランドセルの学習院型とは、学習院初等科で誕生したランドセルの伝統を受け継いだ形のランドセルです。背中に当たる部分と横の大マチを縫い合わせた出っ張りがあるのが特徴で、縦に教科書を収納する形です。
1955年(昭和30年)になると、ヌメ革(仕上げ加工をしない本革)を黒と赤に染色したランドセルが登場します。
「男の子が黒、女の子が赤」というスタイルが一気に広まっていきました。
このころから、黒や赤以外のランドセルもあったようですが、売れなかったようですね。
ランドセル革命で軽量化と多様化の時代へ
1964年(昭和39年)、「クラリーノ」が登場します。
クラリーノは、クラレが開発した世界初の人工皮革です。
天然皮革を化学の力で再現し、試行錯誤の結果、丈夫な人工皮革ができたのです。
今ではランドセルによく使われる素材ですが、当時は「ランドセルにまがい物はいらない」とまで言われたそうです。
しかし、翌年、1965年(昭和40年)にカバンメーカー「協和」が、世界で初めて人工皮革「クラリーノ」をランドセルの素材として採用しました。
これをきっかけに、6年間耐えられる強さが評価されて広まりました。
また、クラリーノには、軽量化や耐久性、防水性、手入れのしやすさ、天然皮革よりも安価、加工がしやすいので多様なデザインで作られるといったメリットがありました。
1980年代に入ると、ランドセルにプラスチック製の部品が使われるようになり、ランドセルの軽量化が進みました。
バブル期(1986~1991年)に入ると、高級ブランドとのコラボレーションモデルや革製の高級ランドセルが登場。
これらは、裕福さやステータスを象徴するアイテムとして人気を集めました。
軽いランドセルが求められてきてますね!
ランドセルは個性の時代でラン活へ
平成になると、さらに人工皮革の技術が向上し、軽量で耐久性のあるランドセルが普及しました。
ランドセルのコストも抑えられ、多くの家庭で購入しやすくなりました。
また、1995年(平成7年)にはランドセルの6年間保証ができました。
当時、「ユニクロ」が50色カラーのフリースを販売したことで話題に。
その影響からか、翌年、2001年にイオンが24色カラーのランドセルを発売。
その後、他社も続き、カラフルなランドセルが次々と登場するようになりました。
「男の子は黒、女の子は赤」といった画一的な時代は終わります。
性別にとらわれないデザインのランドセルが人気を集めました。
また、2000年代になると、オーダーメイドのランドセルが登場。
これにより、個性的で高品質なランドセルを求める家庭も増えました。
ランドセルの大型化
2011年、小学校では新学習指導要領のもと、教科書やプリントB5からがA4サイズへと大きくなり、ページ数が増えたことが、ランドセルの大型化になりました。
2009年(平成21年)には、A4クリアファイル対応サイズ、2011年(平成23年)には、A4フラットファイル対応サイズが出てきました。
フラットファイルとは、パンチで2つ穴を空けて閉じられる紙ファイルです。
学習指導要領の改訂で、教科書の大判化、ページ数増加が進みました。学びやすさを求めて、工夫されたことのよるもの。平成17年ではB5判が96%だったのに対し、令和2年ではB5判は39%、AB判・A判が61%になりました。教科書のページ数も平成17年と令和2年を比較すると175%も増えています。ランドセルが重いという声がありますが、重くなったのは教科書です。(※出典:一般社団法人教科書協会)
2014年(平成26年)ごろからランドセルの販売早期化が進みます。
その中で「ラン活(ランドセル購入活動)」という言葉も生まれました。
ランドセルも多様化になり、選べる時代になりました。
昔よりも子どもの個性を大切にする親御さんが増え、ランドセルの情報を集めて、お子さんにとって一番合うものを探すようになりました。
ランドセルは手作業で200個ほどの部品を組み立てます。
ランドセル工房やメーカーは、手間と時間がかかるので計画的に作ります。
そういったことから、人気モデルは在庫切れになることもあり、親御さんは焦って早い時期から選ぶようになったわけです。
どんどん、個性的なランドセルが出てきていますね!
(※出典:日本鞄協会 ランドセル工業会)
ナイロン製ランドセルリュック
近年、ナイロン製のランドセルリュックが注目を集めています。
ランドセルリュックは、ランドセルとリュックの良さを併せ持つ、従来のランドセルに比べて軽量で、背負いや使い勝手が良いことを目的として作られたランドセルです。
ランドセルリュックにご興味がある方は、下記の関連記事をご覧ください。
軽量ナイロンのランドセルリュック比較5選!おすすめランキングまとめ
この記事では、ランドセルの文化の紹介をしました。
歴史をたどりながら、ランドセルの進化が見えましたね!
それでは、最期に記事のおさらいをしましょう。
- ランドセルの起源はオランダから伝わった軍用の背嚢(はいのう)
- ランドセルの語源は、オランダ語の「ランセル」が訛って「ランドセル」になった
- 初めてランドセル通学をしたのは学習院初等科
- 箱型ランドセルの起源は、皇太子さま(後の大正天皇)入学時に伊藤博文が献上したことがきっかけ(※諸説あり)
- ランドセルは戦後に「男の子が黒、女の子が赤」というスタイルで普及
- 人工皮革「クラリーノ」の登場・プラスチックの部品が使われ軽量化へ
- 個性の時代、カラフル、オーダーメード、A4対応で大型化、販売早期化とラン活へ
ぜひ、ランドセル選びも参考にしてくださいね!
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